東日本大震災

震災直後の支援活動

「東日本大震災」発生直後の創価学会の取り組みの概要を紹介します。

被災者受け入れとサポート

災害対策本部の設置

地震から一夜明け、3月12日午前6時35分、仙台市の東北文化会館でおにぎりや水などを受け取る被災者の方々。12日午前中には585人の方が同文化会館に避難を

福島・郡山市にある福島文化会館にも多くの被災者が。役員は「少しでも温かいものを」とできる限りの配慮を(3月12日)

全国の救援活動を統括する災害対策本部は2011年3月11日の震災直後に原田稔会長を本部長として創価学会本部(東京・新宿区)に設置されました。また、被災地の方面中心会館である東北文化会館(宮城県仙台市)をはじめ、被災した方面・県にも設置されました。

災害対策本部では、最初に会館の被害状況と会員と職員の安否の確認に動き始めました。3月11日16時15分には自家発電で可能となった東北文化会館と学会本部を結んでのテレビ会議システムによる交信を行い、状況の把握と今後の対応を検討ました。(テレビ会議はこの日、17時30分と19時にも行われました)。

これ以降、学会本部の災害対策本部が、毎日被災地の災害対策本部と連携し、被災地域の情報とともに、避難所となっている会館の避難者の人数、救援物資の不足状況、会員の安否確認状況、会員の住居損害状況等の情報を収集しました。
一時避難所として会館提供

地域の避難所として開放されている石巻市の石巻平和会館で、長谷川副理事長が被災者を激励(4月5日)

学会では災害時には会館が地域の防災拠点となり、一時避難所として提供することを日頃から町内会等を通じて地域住民に周知しています。今回の震災においても、ただちに一時避難所として会館を提供しました。会員、非会員を問わず会館を訪れた避難者全員を受け入れ、最終的に東北を中心に42会館を提供、約5,000人を受け入れました。一部の会館では自治体との事前の取り決めにより、行政指定の一時避難所としての機能を果たしたところもありました。

首都圏においては、交通網の混乱による帰宅困難者が発生したため、学会本部では約500人に宿泊場所と食事などを提供しました。また、その他の会館でも必要に応じて帰宅困難者の対応にあたりました。

学会としての一時避難所の提供は、その後、避難者が自宅に戻るか、行政の受け入れ態勢が整い、そちらに転居するまで続けていました。地震発生3ヶ月後には、一時避難所の機能は、ほぼ収束しています。
救援物資の補給と配布体制

大地震が起きた3月11日の夜、山形・米沢市内では雪が吹き付ける中、救援物資の積み込み作業を。物資は12日午前2時18分、東北文化会館に届けられた

3月12日、重油入りのドラム缶を載せたトラック。新潟の災害対策本部が手配し、仙台へ出発した

一時避難所として各会館で受け入れた被災者に、主に食料、飲料水、寝具など救援物資の提供を行った。

全国の学会組織からの救援物資の輸送では、学会本部のほか、特に山形、新潟、関西、北海道が初動段階から迅速な輸送体制を作り上げ、東北へ水、毛布、食料、ガスコンロ、簡易トイレ等の救援物資の輸送を開始しています。12日未明には山形県からの物資が東北文化会館に到着したのをはじめ、被災地各地に緊急支援物資が届けられました。

震災後1週間経つころには、およそ町会単位に設けられた組織拠点まで物資が届くようにきめ細かく供給ルートが作られました。学会組織を利用したこの供給網によって届けられた救援物資は、会員、非会員を問わず地域住民に提供されました。

救援物資の総数は、衣類や寝具、生活用品、飲料・食料など約64万点、燃料約8320リットル (2011年5月30日時点)となりました。
会員の安否確認
学会の各地域の最前線は「地区」という数十世帯規模の基本組織からなっており、それが集まってより大きな組織へと階層を構成しています。

被災者の所在確認が困難な状況でした。各地域のリーダーは多くは自らも被災していたにもかかわらず、震災直後から自発的に自分が担当する地域組織の会員を懸命に捜索しはじめていました。一人一人の手がかりを探し出し、ようやく再会しては生存を喜び合い、また被害に遭った会員には真心からのお見舞いと励ましを地道に続けながら、安否確認を進めていきました。

心のケアと励まし

「全国の、全世界の同志が、皆様の無事安穏を、幸福と勝利を祈っています」——原田会長が、被災者に心からのお見舞いを(3月17日、仙台市・東北文化会館)

原田会長は、一人一人の話にじっくりと耳を傾け、「どうか、体に気をつけてください。私たちも最大限の努力をします」と(3月17日、仙台市の若林平和会館)

被災地のリーダーは、多くは自らも被災しており、ガソリン不足で移動すら困難な状況でした。しかし、震災直後から自発的に自らが担当していた近隣の会員の消息を調べ始め、初めは徒歩で可能な限り訪ね歩いては、一人一人と会い、心からの励ましを送ってきました。

池田大作先生は、地震発生直後から矢継ぎ早に何度もお見舞いの伝言やメッセージなどを被災地に贈り、失意に陥った被災者たちを励まし続けました。

【3月16日】
聖教新聞に掲載されたメッセージで、池田先生は東北の同志へ「『心の財』だけは絶対に壊されません」「断じて負けるな! 勇気を持て! 希望を持て!」と呼び掛けました。

メッセージ全文


【3月17日】
原田会長が被災地を訪れ、一時避難所に身を寄せる避難者を激励、東北の友への池田先生のメッセージを紹介しました。(3月18日付聖教新聞2面に紹介)

メッセージ全文


このほか、日本や世界各国の学会組織からは、被災のお見舞いと一日も早い復興を祈るメッセージが数多く届けられました。

【3月21日(彼岸の日)】
東北はじめ全国の会館で一斉に「春季彼岸勤行法要」が行われ、震災による犠牲者の追善回向と、被害を受けた人たちの無事安穏、被災した地域の一日も早い復興を祈念しました。 この日、池田先生は各部の代表と共に東京の創価学会第2別館で勤行・唱題を行い、震災で亡くなった方々への冥福と被災地の復興を祈りました。

【4月29日】
甚大な被害を受けた宮城県、岩手県、福島県の三県を中心に東北各地で、震災で亡くなった方々を弔う四十九日法要の意義を込めた「東日本大震災復興祈念勤行会」が開催されました。50会場で行われた勤行会には、原田会長をはじめ各部のリーダーが参列し、約9,000名の会員等が集いました。

【5月】
少人数で信仰体験を語りあう学会伝統の「座談会」という集いを、第一回「前進・希望座談会」と銘打って、各被災地の避難所等や会員宅で開催しました。困難を乗り越えるため、未来への希望を持ち続けられるよう、被災者同士が互いに励まし合い、復興への前進を開始したのです。

ボランティアと人道支援

会館運営ボランティア
東北、関東の被災地の各会館の地元に住んでいる地域リーダー(壮年部、婦人部、青年部)たちは、会館運営ボランティアとして、避難者の受け入れや食事の提供、寝具、トイレの手配など、一時避難所の運営を行いました。

また、被災地の一時避難所への救援物資を届けるために被災地以外からも数多くのボランティアがおにぎりの炊き出しを行ったり、救援物資の調達と輸送任務に当たりました。
清掃ボランティア

宮城・石巻躍進県の男子部でつくる清掃ボランティア「かたし隊」が、石巻市内で被災した人々の家の片付けを手伝いました。(4月10日)

岩手・花北勇勝県のヤング男子部を中心に結成された「若獅子応援隊」が宮古市で清掃活動を行いました。(4月10日)

津波被害に見舞われた地域を中心に、家屋の片付けに当たる清掃ボランティアが東北各地の青年部・壮年部を中心に結成され、活動を行いました。

代表的な取り組みは宮城県石巻市でスタートした「かたし隊」で、ここから全県運動として広がりました。

同様の清掃ボランティアとして、岩手県の「若獅子応援隊」「学生お助け隊」などが活発に活動を行いました。高齢化が進む地域では学生部が「自転車レスQ隊」を結成して被災した独り暮らしの高齢者のために買い物を代行するなどの活動が行われました。
医療支援

石巻平和会館で創価学会のドクター部(医師等)等による健康相談が行われた(4月10日)

震災直後に医師と看護師のグループで被災者の健康相談や一時避難所の健康管理のためにアドバイスを行いました。

【3月17~20日】
東北文化会館に医師3名、看護師3名の計6名を常駐させ、24時間体制で被災者の健康相談・看護に当たりました。

【3月21~27日】
看護師2~3名で常駐体制を組み、27日までに応じた健康不安のある人(持病や感染症などで不調をきたしている人)の健康相談は毎日100~200人にのぼりました。

【3月27日以降】
東北文化会館での医療体制を解除し、日曜日を中心に宮城県の石巻平和会館で被災地の医師2~3名、看護師3~4名で健康相談会を行いました。他にも岩手、福島で被災地の医師、看護師がボランティアで健康相談に応じました。
音楽隊コンサート

東北音楽隊の代表が、宮城・石巻市の避難所である市立万石浦中学校を訪れ、演奏会を開催(4月3日)

青年部の音楽隊が被災者を励ますために、岩手県、宮城県、福島県、埼玉県、千葉県の一時避難所や学会の会館などを訪れて復興コンサートを行いました。
ボランティアカット
4月12日を中心に、美容師のグループ「桂冠会」の有志20名が宮城県の石巻平和会館などを訪れ、避難所生活を送る被災者に調髪などの「ボランティアカット」を行いました。
学会の青年部職員の派遣
・震災後の初動段階から6月22日まで
被災地域の支援のため、学会本部や全国の各会館に勤務する青年部職員のべ300名以上が派遣されました。

・5月下旬から7月下旬まで
宮城・岩手・福島県の中心会館等に設置された「復興支援センター」を中心に、全国の青年部職員常時約100名を配置し、支援を推進しました。
義援金などの支援

宮城県の村井知事(左)に、学会からの義援金の目録が託された(3月31日、宮城県庁)

3月30、31の両日にわたり、学会本部として宮城県、岩手県、福島県、茨城県、千葉県、そして仙台市に合計5億4千万円を寄贈しました。

創価学会の各国組織からも義援金(計約1.8億円)が関連団体等へ寄託されました。

また行政の救援活動に協力するために、東北文化会館(仙台市)が震災直後より約2週間にわたり消防隊の駐屯地として提供されました。

機関紙「聖教新聞」の役割

今回の震災では東北の沿岸部を中心に販売店が被災し、配達網に大きなダメージを受けました。また、新聞用紙の逼迫という問題も起こりましたが、2011年3月16日から4月19日まで紙面を8面建て、モノクロ印刷に縮小して一日も休むことなく発行し続けました。

被災地の販売店や配達員は、ガソリン不足など様々な困難を乗り越えて配達をし、中には地元の一般紙すら配達がストップしていた地域にも聖教新聞が届き、一般住民にとって貴重な情報源となりました。

また一時避難所には、いわゆる「支援紙」として無料で届けられ、避難者に活用されました。(2011年6月時点での配布先は、宮城、岩手、福島、埼玉の4県の46カ所の避難所で、合計1,650部)。

紙面内容も、会館で被災した方の紹介記事など学会関連記事のほか、「東日本大震災救援情報」などの企画紙面を通し、自治体等の連絡先、義援金や救援物資の寄託先、心身の健康管理の注意など、被災者に役立つ一般情報も積極的に掲載して読者のニーズに応えました。

また、9月29日からは、東北を中心とした東日本大震災の被災地の復興に向けて、「東北福光新聞」がスタート。各地で、幸福の光源と輝く会員の姿などを紹介しました。
平和・文化・教育