2023.12.09
平和をめざして
「原水爆禁止宣言」
1957年9月8日、三ツ沢競技場(横浜市)にて開催された創価学会・青年部東日本体育大会での第二代会長・戸田城聖先生のスピーチより、「原水爆禁止宣言」の全文を紹介します。
宣言全文

さて、今日の喜ばしさにひきかえて、今後とも、難があるかも知らん。あるいは、身にいかなる攻撃を受けようかと思うが、諸君らに今後、遺訓すべき第一のものを、本日は発表いたします。
前々から申しているように、次の時代は青年によって担われるのである。
広宣流布は、われわれの使命であることは申すまでもないことであり、これは、ぜひともやらなければならぬことであるが、今、世に騒がれている核実験、原水爆実験にたいする私の態度を、本日、はっきりと声明したいと思うものであります。
いやしくも、私の弟子であるならば、私のきょうの声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたいと思うのであります。
それは、核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私は、その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う。
それは、もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります。
なぜかならば、われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります。
それを、この人間社会、たとえ一国が原子爆弾を使って勝ったとしても、勝者でも、それを使用したものは、ことごとく死刑にされねばならんということを、私は主張するものであります。
たとえ、ある国が原子爆弾を用いて世界を征服しようとも、その民族、それを使用したものは悪魔であり、魔ものであるという思想を全世界に弘めることこそ、全日本青年男女の使命であると信ずるものであります。
願わくは、今日の体育大会における意気をもって、この私の第一回の声明を全世界に広めてもらいたいことを切望して、今日の訓示に代える次第であります。
コラム
戸田先生が「原水爆禁止宣言」を発表した1957年、世界は東西冷戦下にあった。核実験が繰り返され、核兵器の存在が戦争の抑止力になるとの「核抑止論」が、軍拡を正当化していた。
こうした事態を憂慮した戸田先生が、青年への「遺訓の第一」として訴えたのが同宣言である。それは青年部の「若人の祭典」(横浜・三ツ沢の競技場)の席上だった。
「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う。それは、もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります」
仏法者として、死刑制度には反対だった戸田先生が、あえてこう表現したのは、人類の生存を脅かす核兵器は〝絶対悪〟であることを明確にし、いかなる理由であれ、その使用は正当化・容認され得ないことを示すためである。核問題の奥に潜む、生命の軽視という〝魔性の爪〟をもぎ取らんとの、平和の大宣言であった。
席上、戸田先生はこう叫んだ。「私の弟子であるならば、私のきょうの声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたい」
この宣言が、学会の平和運動の原点となった。
こうした事態を憂慮した戸田先生が、青年への「遺訓の第一」として訴えたのが同宣言である。それは青年部の「若人の祭典」(横浜・三ツ沢の競技場)の席上だった。
「核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う。それは、もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります」
仏法者として、死刑制度には反対だった戸田先生が、あえてこう表現したのは、人類の生存を脅かす核兵器は〝絶対悪〟であることを明確にし、いかなる理由であれ、その使用は正当化・容認され得ないことを示すためである。核問題の奥に潜む、生命の軽視という〝魔性の爪〟をもぎ取らんとの、平和の大宣言であった。
席上、戸田先生はこう叫んだ。「私の弟子であるならば、私のきょうの声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたい」
この宣言が、学会の平和運動の原点となった。