2025.08.08
沖縄研修道場 ※どなたでも見学できます
かつてここにあった核ミサイル基地は
平和を考える場所に生まれ変わりました
8:26

ミサイル発射台の様子
恩納村にある創価学会沖縄研修道場は、かつての米軍「核ミサイルメースB基地」跡地に建設されました。
太平洋戦争で凄惨な地上戦が繰り広げられた沖縄では、12万人余の県民を含む、約20万人が犠牲に。日本の主権回復後も、沖縄はアメリカの統治下に置かれ、東西の冷戦を背景に、大規模な米軍の基地が、次々と作られました。1960年代、広島原爆の70倍の威力を持つ核ミサイル「メースB」が4つの基地に配備。恩納村のこの場所は、その一つでした。
太平洋戦争で凄惨な地上戦が繰り広げられた沖縄では、12万人余の県民を含む、約20万人が犠牲に。日本の主権回復後も、沖縄はアメリカの統治下に置かれ、東西の冷戦を背景に、大規模な米軍の基地が、次々と作られました。1960年代、広島原爆の70倍の威力を持つ核ミサイル「メースB」が4つの基地に配備。恩納村のこの場所は、その一つでした。

現在の「世界平和の碑」
1976年、恩納村のミサイル基地跡を含む土地を創価学会が取得。研修道場として整備を開始。
1983年3月、池田先生が、沖縄研修道場を視察。「永遠に残そう。『人類は、かつて戦争という愚かなことをしたんだ』という、ひとつの証として」との提案で、敷地内に残っていたミサイル発射台は、6体のブロンズ像が建つ「世界平和の碑」へと生まれ変わりました。
1983年3月、池田先生が、沖縄研修道場を視察。「永遠に残そう。『人類は、かつて戦争という愚かなことをしたんだ』という、ひとつの証として」との提案で、敷地内に残っていたミサイル発射台は、6体のブロンズ像が建つ「世界平和の碑」へと生まれ変わりました。

ミサイル発射台の内部
8つのミサイル発射台のうち、1つの内部を当時の形状のまま残しており、見学が可能です。またもう一つの発射台内部では、沖縄に“核の脅威”があった史実などを紹介する映像を上映。一般の方にも広く公開し、世界中から見学者が訪れています。
基本情報・アクセス
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