被爆遺構めぐり

実際に長崎を訪れて、平和について考えてみよう!

聞いて、見て、触れる――どこか遠くに感じてしまいがちな「平和」も、足を運んでみると自分自身に迫ってくることがあります。

1945年8月9日、「キノコ雲」の下で何が起きたのか。人、街、生活はどうなったのか。
その凄惨な史実を伝え残すかのように、長崎には被爆・戦争遺構が数多く存在しています。

「もう二度と同じ悲惨を繰り返さないために」

ぜひ、一度長崎に足を運び、「平和」に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

※両コースは、午前9時に見学をスタートした場合の参考例です。徒歩による所要時間は目安です。
一日コースは約3.7キロメートル、半日コースは約1.4キロメートルの道のりになります。水分補給を忘れずに!
▼ 一日学習コース
  • 昼食 11:20
▼ 半日学習コース
被爆遺構めぐりのすすめ
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旧城山国民学校校舎(長崎市立城山小学校)
爆心地に最も近い学校だったため、被害が最も大きかった学校です。被爆校舎は「平和祈念館」として開放されており、長崎で現存する被爆遺構で唯一当時のまま、中に入って見学できる施設です。また、学校内には「嘉代子桜」や「少年平和像」もあります。
2016(平成28)年10月3日、被爆校舎が長崎原爆遺跡の一つとして国指定史跡に選ばれました。
開館時間
9:30~16:30(8月7日~10日は8:30~17:30)
休館日
12月29日~1月3日
入館料
無料
駐車場
なし
住所
長崎市城山町23‒1
TEL
095‒861‒0112
指定管理者
城山小学校被爆校舎平和発信協議会
備考
※写真撮影可
原爆投下中心地公園
爆心地に造られた公園で、「爆心地公園」とも呼ばれています。写真の石碑は、原爆で亡くなった人々の冥福を祈り、原爆の恐ろしさを忘れないようにとの思いを込めて建てられました。
爆心地付近は道路に亀裂が走っていましたが、不思議なことに真上からの圧力のためか、電柱も樹木も倒れないままで立っていました。これが後に、爆心地を判定する手がかりとなりました。
公園がある松山町には、当時約300世帯1860人の一般市民が生活していました。偶然にも防空壕に避難していた9歳の少女を除き、町内にいた全員が即死しました。
地層の中には、家の瓦・レンガ・熱で溶けたガラス・茶碗・針金などを見ることができます。
 
入園自由
駐車場
なし
住所
長崎市松山町
長崎原爆資料館
長崎に落とされた原子爆弾(ファットマン)の原寸大の模型があります。開館当初は模型の色は濃い緑色でしたが、実際は黄色だったことから、被爆から70年の2015年に塗り替えられました。
開館時間
(5~8月) 8:30~18:30 入館は18:00まで
(8月7~9日) 8:30~20:00 入館は19:30まで
(9~4月) 8:30~17:30 入館は17:00まで
休館
12月29日~31日
入館料
大人200円、小・中高生100円
駐車場
有料あり
住所
長崎市平野町7‒8
TEL
095‒844‒1231
備考
※写真撮影はフラッシュをたかなければ可
国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
原子爆弾の投下により亡くなられた方々を追悼し、世界平和を願う施設です。
水盤は被爆者の多くが水を求めたことから設置されています。その水盤は直径29mもあり、水盤の底には1945年末までの推計死没者数と同数の約7万個の光が灯されます。夜になると、ライトアップされ、静寂な時が流れています。
開館時間
(5~8月) 8:30~18:30
(8月7~9日) 8:30~20:00
(9~4月) 8:30~17:30
休館日
12月29日~31日
入館料
無料
駐車場
有料あり
住所
長崎市平野町7‒8
TEL
095‒814‒0055
山王神社・二の鳥居と被爆した大クス
爆心地からほど近い所にある山王神社。爆風で倒れたもう片方の鳥居も、そのまま残されています。
さらに奥に進むと被爆した大きなクスノキが立っています。原爆で、幹に亀裂が入り、熱線で焼かれました。そのため、枯れ木状態となりましたが、奇跡的に生き返り、希望と平和のシンボルとなっています。ちなみに、この被爆クスノキを題材に、長崎市出身のアーティスト・福山雅治さんが「クスノキ」という曲を発表しています。
 
見学自由
駐車場
なし
住所
長崎市坂本2‒6‒56
旧長崎医科大学正門門柱
現在は長崎大学医学部坂本キャンパスになっていますが、当時は長崎医科大学と呼ばれていました。
医科大学の正門の門柱は強烈な爆風により、約9cmもずれ、前のめりに傾いたままとなっています。この門柱の片方は山かげになっていたので無事でした。
門柱のそばに建てられた石柱には「原爆の爆風のもの凄さを今尚ここに見る」と刻まれています。
教職員や学生は逃げる間もなく、約890人が亡くなりました。講堂の焼け跡には、教官・学生が講義の時の位置そのままの姿で亡くなっており、中には犠牲者が白骨化していた教室もありました。
 
被爆遺構のみ見学自由
駐車場
なし
住所
長崎市坂本1‒12‒4
浦上天主堂
天主堂は、1925年(大正14年)に完成。当時は赤レンガ造りの東洋一の教会といわれていました。天主堂の双塔は原爆の爆風で崩壊しました。二基の塔には鐘楼がついていましたが、一基は壊れ、一基は小川に落下。半分埋もれたような姿で今もなお横たわっています。
現在の浦上天主堂は、内部が一般公開されています。
堂内左右の窓には、キリストの生涯を描いた24枚のステンドグラスが設置されています。ミサのほかチャリティーコンサート、結婚式、バザー、夏祭り、クリスマス会などが行われています。
拝観時間
9:00~17:00
休館日
無休
入館料
無料
駐車場
なし
住所
長崎市本尾町1‒79
TEL
095‒844‒1777
備考
※天主堂の中は写真撮影不可
永井隆記念館と如己堂
永井隆は医学博士であり、カトリックの信者でもありました。原爆で最愛の妻を亡くし、自みずからも被爆。白血病と戦いながらも、被爆者の救護活動を続けました。
被爆から約3年後、浦上の人々から贈られた2畳1間の小さな家・如己堂で研究を続けながら、『長崎の鐘』や『この子を残して』などの執筆活動をしました。2人の子どもと3人暮らしでした。
如己堂の名前の由来は、博士の座右の銘である「己の如く人を愛せよ」との言葉から。平和を願い続けた永井博士は、43歳でその生涯を閉じました。
開館
9:00~17:00
休館日
12月29日~1月3日
入館料(1F展示室)
大人100円(団体80円)、小・中高生は無料
駐車場
なし
住所
長崎市上野町22‒6
TEL
095‒844‒3496
旧山里国民学校(長崎市立山里小学校)
小学校の正門を入った左手に“あの子らの丘”という丘があります。この丘に建つ慰霊碑は、山里小学校の児童の被爆手記集『原子雲の下に生きて』を出版した永井隆博士が、子どもたちと相談して、原稿料の一部を出し合って建てました。碑文の文字は永井博士の書によるものです。
戦時中、激しい空襲から身を守るために、学校や付近に住む人々がこの防空壕に隠れて避難していました。
現在、校舎裏手の崖に掘られた防空壕が唯一残されています。
 
被爆遺構のみ見学自由
駐車場
なし
住所
長崎市橋口町20‒56
TEL
095‒844‒0785
備考
※校舎内は立ち入り禁止です。
平和公園
世界平和を祈念し、この記念像は建てられました。
天を指す右手は原爆の「脅威(きょうい)」、水平にのばした左手は「平和」を示し、軽く閉じたまぶたは戦争で亡くなられた方々の冥福を祈っています。毎年8月9日に長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が開催されています。
公園内の世界平和シンボルゾーンには、世界15カ国から寄贈されたモニュメントが建てられています。「平和は長崎から」を全世界に強く訴えています。
 
入園自由
駐車場
有料あり
住所
長崎市松山町9
平和・文化・教育